Yet Another JUGEM.
 
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靖国参拝を前に思う。
 昨日は東京都内、かなりの時間と距離を電車で移動をした。ちょうど1年位前からの事である。中国人が我が物顔で電車に乗っている。以前ではあり得ない光景だ。今や、電車の中で聞こえてくる言葉は中国語と韓国語である。とても不愉快だ。白人主義ではないが、そういった欧米の人達はほとんど見かけなくなった。この光景は中国に落ちたビザの問題が影響しているのは間違いない。
 今更ながら思うと、世界の都市、アメリカやフランス、イギリスさえも、かつて日本人の観光客や留学生が就労者が溢れかえった時期はこういう思いをしていたのかと、つくづく実感するのである。
 しかし、支那朝鮮半島人とかつての日本人と違うのは、その身だしなみ、服装である。あまりにもセンスのないあの、ちんけな服装は何なんだろうか。日本でもよくいる成金の典型だ。
 フランスのポンヌフの橋で友人のフランス人と一日過ごした事がある。当時はまだ日本人がかつての勢いがなくてもブランド品を買い漁っていた時代だ。そのたった一日で見事なまでにそのフランス人の友人は私の回答から日本人とそうでないアジア人、いわゆる支那朝鮮半島人を見分けられるようになったのだ。注目すべきはやはり服装。特に靴。みすぼらしいその格好はすぐに見破られるらしい。

 あれからどれ位の月日が流れたのであろうか。

 今日は、あの、支那朝鮮人達は何を思い過ごすのであろうか。靖国参拝反対と活動するのだろうか。いや、そうではないだろう、そのほとんどが何も思う事無く過ごすのかもしれない。わけもわからず、欧米の真似をして戦勝国祝いをするのかもしれない。
 この日がくるとヨーロッパで色んな国の人が住んでいた寮での出来事を思い出す。ヨーロッパの戦勝記念日に共同の大きなキッチンにいたのは私日本人とドイツ人だけだ。あの料理をしているドイツ人男性の横顔が今でも忘れられない。他の国の人々は飲みに街に繰り出しているのだ。私達はずっと、後世までこの想いを引きずるのだろうか。そして、日本のためと、家族や愛する人を守るために散った英霊が奉られている靖国参拝を、毎年支那朝鮮人達に文句を言われ続けなくてはいけないのだろうか。

 誰も戦争を賛美などしていない。

 私は靖国問題を学校で一度も教わっていないし、聞いた事もない。そういう教育を受けてきた。社会や歴史の授業でも、その大半は明治時代までで、現代史はほとんどやらなかった。小中で同じような教育を受けてきた為に、なぜなんだという疑問が常にあった。
 私が義務教育で過ごした地域は、左翼的な日教組の教育をするのでもなく、ただ単に逃げた教育をしていた。おそらく今を思えば、教職員内の対立はあったのだろう。後は間に合わないから教科書をよんでおくように言われた記憶がある。
 あまり現代史をしらなかった私でさえ、中国人と朝鮮半島人は大嫌いだった。なぜかはわからない。しかし、今、こうやって年を重ね、あらゆる情報を知り得た上でも、その感情は変わる事はなく、逆に増すばかりだ。しかしながら思うのだ。大学生の時の何か大きなゼミで中国人が隣になった事があり、聞いた事がある。なぜ、中国内では日本をそこまで侮辱するのかと。その留学生は答えた、私達の世代はそんな事はないと。方便だったのかもしれない。私はそんな事はないだろう、嘘をつくなと相当食い下がったものだった。
 これはアジア人、日本人も含まれるのだが、他国ではコミュニティーを強く持とうとする。そこで現地の言葉をわからなくても生活ができるという状況を生んでしまうのだ。個人的にそれは間違いだと思う。他国の人間とわかり合える事はないだろう。しかし、対立してでも言わねばならぬ事はあるのだ。ずけずけと入ってくるのであれば、ここは日本なのである。ずけずけと逆に入って行き言わなきゃいけない事は最低でも主張せねばいけないだろう。
 言わないとか、かかわらないとか、そういう美徳観念は捨て去るべきで、保守精神があるのであれば真っ先に率先して行わなければならぬ事ではないか。
【2010.08.15 Sunday 07:46】 author : ぶら
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